スポンサーサイト

--/--/-- (--)  カテゴリー/スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10年目のできごと。感動編!

2011/09/27 (火)  カテゴリー/日記

9月23日は、私たち夫婦の10年目の結婚式記念日でありました

少しずつですが、体力も回復してきたこともあり、今日は一日お出かけすることに!
朝からフォンテーヌへ出かけ、いつもかぶってるヅラ、もといウィッグを
6ヶ月点検に出してから、地下鉄でケンヂと、寄席でおなじみの「正覚寺」へ。

昔から、迷いや悩みがあると、お墓やプリンセス伯母んちの仏壇に手をあわせたり
(最近は、すっかりおろそかになってますが。。。)、
何年か前も、高野山で写経をしたりして、折に触れ、仏門に心の安寧を求めていた私。

退院して、身体は徐々に回復していくけれど、心はどうしても不安定になりがちで、
落ち込んでいた時に、正覚寺さんで、彼岸会を催されると伺い、
檀家さんに混じって参加させていただくことになったのです。

ご住職のお声は、よく通る優しいお声。晴れやかな秋空に心地よく響きます。
私たちも経本をお借りし、ご唱和させていただきましたが、
不思議と心が落ち着いてくるのがわかります。

お勤めの後は、ご住職によるご説法。

今回は、「六道(地獄、餓鬼、畜生、人、修羅、天)の世界」について。
人間は、もちろん「人」に所属するのだが、人の心の中にも、生きている間、
常に六道(の状態)があるということを説かれました。
心の持ちようで、地獄道になることもあれば、天の道になることもある。
その例として、ご住職のお知り合いのがん患者さんのお話をされました。
その方は、告知を受けて治療をされる際、「闘病」ではなく、「共病」すると
決心されたそうです。
それは、がんは命を脅かす恐ろしい病ではあるけれど、
がん化した細胞は自分の一部。
ならば、それもいとおしいものと捉えて、どこまでがんと付き合っていけるか、
「闘病」ではなく、共に生きる「共病」として、今も抗がん剤治療を受けながら
頑張っておられるというお話でした。

ご住職のお話を聴きながら、いつしか涙がこぼれ落ち、止まらなくなる。
この約1年間の辛かったこと、しんどかったこと、嬉しかったことが
走馬灯のように思い出され、浮かんでは消えていく。

今の自分は、一日24時間の間にも、一喜一憂があり、
ご住職の説かれたとおり、常に六道が心の中にあります。
死ぬときは死ぬし、どうにかなるさ、と楽観的に考えているときもあれば、
死ぬのは絶対いやや、と怖くてたまらないときもある。

心までがんになってはいけないと、よく言われることですが、
常に再発や転移に怯えてる自分がいるのは事実。
その気持ちに折り合いをつけて、受け入れて、心穏やかに
生きていくことにはまだまだ時間がかかりそうです。

がんになったことは、残念だし、悔しいことだけれど、
なぜかがんを恨んだり、憎む気持ちがそれほどわかない。
むしろ、自分を責め、手術をすると決まってからずっと、
「無理させてごめん。」と自分の身体に謝ってばかりいました。
それはやはり、自分が生み出してしまった細胞だからなんだと思います。

病は気からの言葉どおり、気持ちの持ちようで、「絶対に治してみせる!」
という心意気が、がんを治すには何より大事。
その意味では、やはり「闘病」になると思いますが、
この病気になったからこそ、知り得るものもあった。
辛いことばかりではなく、嬉しいこともあったし、何より思いやりの心を
たくさんいただいた。
身体は痛くても、心は温かく、ある意味充実していたのです。

「共病」とは、私にはとても言えませんが、人に生まれて、これがこの世での
私の修行なのであれば、いち早く復活して、お世話になった方たちに尽し、
一人でも多くの人が、がん予防できるようにしていくこと、がんを患っても、
こんなに元気になれるんだと身を持って示すことが使命なんだと
感じています。

でも、もし私のがん試料が、少しでも医療の進歩にお役に立てたのであれば、
「よくやったな!」と褒めてやりたい気持ちになるのは、
一種の親バカなんでしょうかね

こうした気付きを与えてくださり、不安な気持ちを整えてくださった
ご住職と、快く参加させてくださった奥さまに心より感謝します。
本当にありがとうございました!

心晴れ晴れ、ケンヂと次の場所へと向かいます!
スポンサーサイト

この記事へのコメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2011/09/29 (木) 21:20

コメントを書く

装飾
管理人にのみ表示
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。