今後も頑張らないよう頑張ります! |
2016/10/09 (日) カテゴリー/闘病のこと。
皆さま、大変大変ご無沙汰しております。
ご心配をおかけして申し訳ございません
あまり時間がないので、かなり割愛して報告させていただきます。
5月初旬のCT結果で、また胸水が溜まって来ていて、
抗がん剤治療が効いていない事が判明しました。
主治医とも、今後の治療をどうするか等を話し合いましたが、
とにかく胸水だけは早く止めなければ厄介であると考え、
昨年もお話を伺った京都のクリニックの方で
胸水の免疫治療を行うことにしました。
5月末まで母の白内障の手術や介護のことで、
またバタバタしておりましたが、何とか遣り終え、
ぎりぎり飛び込むようにクリニックにて
治療を始めたのが5月末。
外来にて連日治療を行うことになっていましたが、
その何日か前から腹部に痛みがあるのが気になっていて、
紹介していただいた京都の病院で診ていただいた結果、
腸の軽い詰まり、つまりは腸閉塞だと診断され、
急遽入院することになりました。
しばらく腸閉塞の治療とクリニックでの免疫療法を
続けましたが、腸閉塞は悪化したり良くなったりの
繰り返し、両足のリンパ浮腫も発症してしまい、
その他諸々色々あって、なんと、8月末まで、
京都の病院で過ごすことになりました。
8月末からは、今まで治療を続けていた、大阪の病院に
転院し、主治医や担当医、ケンヂとも話し合いましたが、
まだ腸閉塞を起こしているので抗がん剤治療は、
もちろん出来ませんし、体力的にも、また厳しい
副作用のことを考えると、抗がん剤治療を
続けていくことは返って命を縮めるだけだと
諸々判断し、緩和治療に移ることを決断しました。
緩和ケア病棟のある病院を調べ、友人や看護師さん、
詳しい方々にお話を伺ったりして、自分の行きたい
ところをピックアップし、ケンヂに面談に出かけてもらって、
予約してもらい、急でしたが、この9月末から
第一希望の緩和ケア病院の方に転院することができました。
不安がないと言えば嘘になりますが、
気持ちは前向きですし、痛みのコントロールも
完璧にしていただいております。
とにかく今の目標は、少しでも口から食事が
できるよう(4ヶ月絶食中)、先生もスタッフの方々も
出来るだけ希望に沿うよう勤めてくださっていますし、
5月の入院時から、ずっと24時間点滴だったのが、
こちらではほぼ同じ量を1日で3回に分けて
投与するため、点滴をしない時間が得られるので、
先日、脳梗塞で亡くなった叔母の病院へ出かけ、
顔を見ることが出来ましたし、移動して10日ほど
ですが、気持ちはかなり充実しております。
本当にありがたいことです。
今日も、外出して自宅へ約4ヶ月振りに帰って来て
おりましたので、こうして久しぶりにブログを
更新することができました。
また、できましたら、元気な様子をお届けできれば
嬉しいと思っております。
では、皆さま、その日までご機嫌よう!
寒くなったり、暑くなったりするようですので、
無理のないようにお過ごしくださいね。
ありがとうございました
ご心配をおかけして申し訳ございません

あまり時間がないので、かなり割愛して報告させていただきます。
5月初旬のCT結果で、また胸水が溜まって来ていて、
抗がん剤治療が効いていない事が判明しました。
主治医とも、今後の治療をどうするか等を話し合いましたが、
とにかく胸水だけは早く止めなければ厄介であると考え、
昨年もお話を伺った京都のクリニックの方で
胸水の免疫治療を行うことにしました。
5月末まで母の白内障の手術や介護のことで、
またバタバタしておりましたが、何とか遣り終え、
ぎりぎり飛び込むようにクリニックにて
治療を始めたのが5月末。
外来にて連日治療を行うことになっていましたが、
その何日か前から腹部に痛みがあるのが気になっていて、
紹介していただいた京都の病院で診ていただいた結果、
腸の軽い詰まり、つまりは腸閉塞だと診断され、
急遽入院することになりました。
しばらく腸閉塞の治療とクリニックでの免疫療法を
続けましたが、腸閉塞は悪化したり良くなったりの
繰り返し、両足のリンパ浮腫も発症してしまい、
その他諸々色々あって、なんと、8月末まで、
京都の病院で過ごすことになりました。
8月末からは、今まで治療を続けていた、大阪の病院に
転院し、主治医や担当医、ケンヂとも話し合いましたが、
まだ腸閉塞を起こしているので抗がん剤治療は、
もちろん出来ませんし、体力的にも、また厳しい
副作用のことを考えると、抗がん剤治療を
続けていくことは返って命を縮めるだけだと
諸々判断し、緩和治療に移ることを決断しました。
緩和ケア病棟のある病院を調べ、友人や看護師さん、
詳しい方々にお話を伺ったりして、自分の行きたい
ところをピックアップし、ケンヂに面談に出かけてもらって、
予約してもらい、急でしたが、この9月末から
第一希望の緩和ケア病院の方に転院することができました。
不安がないと言えば嘘になりますが、
気持ちは前向きですし、痛みのコントロールも
完璧にしていただいております。
とにかく今の目標は、少しでも口から食事が
できるよう(4ヶ月絶食中)、先生もスタッフの方々も
出来るだけ希望に沿うよう勤めてくださっていますし、
5月の入院時から、ずっと24時間点滴だったのが、
こちらではほぼ同じ量を1日で3回に分けて
投与するため、点滴をしない時間が得られるので、
先日、脳梗塞で亡くなった叔母の病院へ出かけ、
顔を見ることが出来ましたし、移動して10日ほど
ですが、気持ちはかなり充実しております。
本当にありがたいことです。
今日も、外出して自宅へ約4ヶ月振りに帰って来て
おりましたので、こうして久しぶりにブログを
更新することができました。
また、できましたら、元気な様子をお届けできれば
嬉しいと思っております。
では、皆さま、その日までご機嫌よう!
寒くなったり、暑くなったりするようですので、
無理のないようにお過ごしくださいね。
ありがとうございました

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1月23日 奇跡の同窓会ライブ!! |
2016/04/24 (日) カテゴリー/観るもの!
まずは、今月14日よりたびたび大きな地震に見舞われた
熊本、大分の被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
大災害が起こるたびに、自分の非力さを思い知るのですが、
私なりに出来うることを、行っていきたいと思っております。
また、この地震で、災害への備えがいかに大切かを
再確認し、避難キットの確認や、転倒防止シートなどを購入し、
早速取り付けました。
実際、その時にならないとどうなるかは分かりませんが、
備えあれば(ある程度は)憂いなしです。
皆さまも、一度見直してみてくださいね。
さて、去る1月23日(土)、かねてよりお知らせしておりました、
大学時代の軽音楽部の大同窓会ライブが催されました~
昨年の秋にお話をいただいた時には、胸水も溜まっており、
息をするのもしんどくて、正直無理かも知れないと
思っていましたが、12月にスタジオで練習を行った際、
思ったよりも声が通り、微弱ですがお腹から声が出せたことに
自分自身驚きました。
先輩方が、「大丈夫や!全然いけてるで~
」と
励ましてくださり、うん、このままならほんまに大丈夫かもと
急にテンションが上がりだした私。単純ですね~
12月末からは、かなり体調も良くなり、1月の練習では、
12月の練習時に、息が上がって歌えなかったところも、
続けて歌えたりなど、ひと月でこんなに進歩があるなんてと、
嬉しいやら自信がつくやらで、当初は2曲ぐらい歌えたら~と
予定していたのが、当時のオリジナルも含めて、
4曲演奏することになりました。
しかし、持ち時間はたったの20分。
テンポを速くしたり、短くしたり、こういうアレンジでは?と
LINEで打ち合わせしたり、30年前は、一番下だった私が、
意見を言い合うなんてことは考えられなかったのですが、
それが時を経て、同じ土俵でお話させていただけるのが
とても嬉しくて、夜更かししてしまうこともたびたび。
気持ちは、すっかり20代に返っていました
練習は、たったの2回、合計4時間だけでしたが、
スタジオで録音したものを、ドロップボックスなどアプリに落とし込み、
微妙な調整はLINEでと、全く問題なく家で練習することが出来ました。
今は色んなアプリがあって便利ですね~。
メカ音痴な私には、未だにちんぷんかんぷんなのですが・・・
とにかく体調だけには気を付けて、迎えた1月23日。
前日までは、寒さが和らいでいたのに、急に冷え込むとの
予報で、衣装の下に厚手のヒートテックを見えないように
たたんでピンで留めつけたり、貼るカイロの個数を増やしたり、
ロングブーツに変更したりと準備も万端!
ケンヂと車で開店ジャストに入り、親戚たちの席も確保。
オープニングアクトだったので、早めにリハーサルをやっている時に
「えっ!もう始まってるの?」と目を丸くして驚いている友人たちの顔が
見えたりと、緊張感とリラックス感がミックスした不思議な
心地で、その時を迎えました。

13時から始まったK大軽音楽部同窓会ライブ
満員御礼です
バンド名は、「Air Kiss」
曲は、予定通りの4曲。
1、ガラスの破片 A PIECE OF GLASS /山根麻衣
2、モノクロームの雨の中で /山根麻衣
3、Last Message /Air Kiss (オリジナル)
4、蜃気楼へ・・・IN MIRAGE /山根麻衣
3曲は、かつて(今もですが)私たちのディーバであった
山根麻衣さんの曲、そして1曲は、30年前に作った
バンドのオリジナル曲を選びました。
仲間たち、友人たちが盛り上げてくれて、
最高に気持ちよく酔うように歌い上げることが出来ました
念のため、酸素ボンベも、椅子も準備してもらいましたが、
途中で邪魔になっただけでした(笑)
一番前に陣取っていた親戚たちを見ると、
各々その眼には涙が・・・。
特にプリンセス伯母は、ずっと泣き続けており、
つられるといけないので、ずっと目を逸らしていました。
秋からの私の状態を見続けてくれていた伯母。
つらくてしんどくて、ただただ号泣していた私の
肩を抱いて、一緒に泣いてくれた優しい伯母。
それから数か月で、こうしてライブで歌うことが
できるなんて、誰が想像できたでしょう。
本当に歌のパワーはすごいと改めて感じました。
そして、今回歌うに当たって、自分のテーマがありました。
それは、今も一緒に闘病生活を送っているがん友たちにエールを、
そして私を支え続けてくれたみんなに感謝を込める、
メッセージ的な思い
そして、亡くなった友人たちが、うまくいくようにと
チカラを添えてくれたようにも感じています。

尊敬するギタリストの西田さんと。
高校時代から、めっちゃ上手くて有名な方で、
高校生の時、一度ライブで同じステージに立ったことがあり、
彼がいたから軽音を選んだという経緯があるぐらい
リスペクトしています
この日は、色んな友人、知人が足を運んでくださり、
それだけでも恐縮なのに、たくさんのお花や差し入れを
いただきました。本当に感謝感謝です

ライブの最後、親戚や友人たちと一緒に

忙しいところ、本当にありがとうございました~
それから、19時まで、1部、2部とセッションタイムまで設けて、
熱いライブが行われました
私と同じで、もう長いこと楽器を触っていないというバンドや、
ドラマーがいないため、急遽、メンバーのお嬢さんがドラムを
担当したバンドとか、短時間の練習で苦労したようですが、
でもそれはそれなりに味があり、伊達に年は重ねてないな~と
感動したり感心したり。
ジャズは、セッションバンドが何組かと、2部の始めにフルバン。
昔は、自分のことだけで精一杯で、自分の所属のラテン(ロック)以外は
ほとんどじっくり聴くことはなかったのですが、
もう、いいっ
ジャズ、マジすごい
機会があったら、またゆっくり聴いて酔いしれたいな~
そして、伝説のヴォーカリストのMさんまで登場!!
感動と懐かしさと嬉しさで、何度涙ぐんだことか
あっという間の楽しい、しあわせな一日でありました

ライブ終了後、全員集合で撮影~!お疲れさまでした!
この撮影後、幹事に頼んで、皆さんの前でひと言挨拶を
させていただきました。
いかにこの一日が楽しかったかということ、
このスペシャルな時間に深く感謝していること、
そして、自分はがんで、長くずっと治療を受けており、
昨年秋の同窓会の際は、最悪のコンディションで、
歌える状態ではなかったが、このライブを目標に
頑張って来た結果、歌える状態まで奇跡的に回復し、
音楽のパワーがいかにすごいものかということを話しました。
そして、がんだけでなく、難病を抱えた親御さんや、友人などが
いらっしゃったら、治療を続けながらも頑張って歌った人がいると
いうことを、機会があれば話してあげて欲しいとも僭越ながら
伝えました。
それは、頑張れという意味ではなく(もう十分頑張っている)、
こんな病気になって、私はもう何も出来ないと思っている人が
結構多いのです。現に私もそうでした。
啓発本には、目標を持つことの大切さなどが書いてあり、
なるほどな~とは思っても、いざ何をするかというところで
躊躇したり、どうせ出来ないからと考えないようにしてしまう、
そんな気持ちが分かっているからこそ、今回のことが
少しでも役に立てればと思ったのです。
出過ぎた真似をしてしまったかなとも思ったのですが、
結果、拍手喝采で、感動した!すごくいいスピーチやった!と
みんなに言ってもらえて、安心しました。
この後、近くの居酒屋での打ち上げにも参加。
飲みながら食べながら、色んな話に花が咲きました。
バンドのメンバーも、今日は最高に楽しかった!と
満面の笑顔で、そこで、Air Kissを続けていこうや~と決定!
またこの楽しい時が過ごせるのかと思うと、
嬉しさで飛び上がりそうになりました
一次会で帰る私に、皆さんが個々で話しかけてくれ、
励ましや、うちの親父ががんになった時は・・・と
逆に教えてもらったり、お前、あんなに言い切ったんやから、
死んだらしばくからな~!絶対生きろよ!と喝を入れられたり、
みんなの優しさ、思いやりをたくさんいただきました
本当に、幸せな人です、私は
ライブは、今回一度だけではもったいないし、
かといって、頻繁にすると、絶対だれてくるし、
2年に1回ぐらい、色々趣向を変えてやっていこうと
いうことになり、幹事から、どんなやり方がいいか、
考えといてや、それが宿題やと言われ、
責任を感じながらも、必要としてくれている嬉しさも
感じています。
そして、Air Kissは、3月にライブ後初めて練習を行い、
コピー曲を2曲加えました。
1曲は、昔ライブでも行った山根麻衣さんの名曲で、
敢えて30年後の今、挑戦してみようとコピーのし直しを
各々やってみたのですが、ようこんな難しい曲、
平然とやってたなあ、若さって怖い
と、
改めて感じたり、また洋楽の名曲に歌詞を付けたり、
オリジナルを作ろうと、来月の練習に向けて、
今、メロディと歌詞を考え中です。
そして、8月にライブしよか!と静かに盛り上がっています。
もちろん、私の身体最優先で、もし急にできなくなっても
大丈夫なように考えてくださっていて、至れり尽くせりの
状況に感謝の言葉も見つかりません
私が楽しければ、それでいいねんと仰ってくださる先輩方に、
私も応えようと、気負わず楽しく創作に取り組んでいます
再び良き友にめぐり合えたことの喜びを今、かみしめています
また、ライブが決まって、詳細が分かりましたら、
当ブログでお知らせいたしますね

張り切ってまいりますので、また応援を
ヨロシクお願いいたします!

皆さんからいただいたお花は、大切にお世話させて
いただきました
週に一度お掃除に来てくださるヘルパーさんから、
驚かれるぐらい長く咲いてくれて、気持ちを
癒してくれました。
本当にありがとうございました
熊本、大分の被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
大災害が起こるたびに、自分の非力さを思い知るのですが、
私なりに出来うることを、行っていきたいと思っております。
また、この地震で、災害への備えがいかに大切かを
再確認し、避難キットの確認や、転倒防止シートなどを購入し、
早速取り付けました。
実際、その時にならないとどうなるかは分かりませんが、
備えあれば(ある程度は)憂いなしです。
皆さまも、一度見直してみてくださいね。
さて、去る1月23日(土)、かねてよりお知らせしておりました、
大学時代の軽音楽部の大同窓会ライブが催されました~

昨年の秋にお話をいただいた時には、胸水も溜まっており、
息をするのもしんどくて、正直無理かも知れないと
思っていましたが、12月にスタジオで練習を行った際、
思ったよりも声が通り、微弱ですがお腹から声が出せたことに
自分自身驚きました。
先輩方が、「大丈夫や!全然いけてるで~

励ましてくださり、うん、このままならほんまに大丈夫かもと
急にテンションが上がりだした私。単純ですね~

12月末からは、かなり体調も良くなり、1月の練習では、
12月の練習時に、息が上がって歌えなかったところも、
続けて歌えたりなど、ひと月でこんなに進歩があるなんてと、
嬉しいやら自信がつくやらで、当初は2曲ぐらい歌えたら~と
予定していたのが、当時のオリジナルも含めて、
4曲演奏することになりました。
しかし、持ち時間はたったの20分。
テンポを速くしたり、短くしたり、こういうアレンジでは?と
LINEで打ち合わせしたり、30年前は、一番下だった私が、
意見を言い合うなんてことは考えられなかったのですが、
それが時を経て、同じ土俵でお話させていただけるのが
とても嬉しくて、夜更かししてしまうこともたびたび。
気持ちは、すっかり20代に返っていました

練習は、たったの2回、合計4時間だけでしたが、
スタジオで録音したものを、ドロップボックスなどアプリに落とし込み、
微妙な調整はLINEでと、全く問題なく家で練習することが出来ました。
今は色んなアプリがあって便利ですね~。
メカ音痴な私には、未だにちんぷんかんぷんなのですが・・・

とにかく体調だけには気を付けて、迎えた1月23日。
前日までは、寒さが和らいでいたのに、急に冷え込むとの
予報で、衣装の下に厚手のヒートテックを見えないように
たたんでピンで留めつけたり、貼るカイロの個数を増やしたり、
ロングブーツに変更したりと準備も万端!
ケンヂと車で開店ジャストに入り、親戚たちの席も確保。
オープニングアクトだったので、早めにリハーサルをやっている時に
「えっ!もう始まってるの?」と目を丸くして驚いている友人たちの顔が
見えたりと、緊張感とリラックス感がミックスした不思議な
心地で、その時を迎えました。

13時から始まったK大軽音楽部同窓会ライブ

満員御礼です

バンド名は、「Air Kiss」

曲は、予定通りの4曲。
1、ガラスの破片 A PIECE OF GLASS /山根麻衣
2、モノクロームの雨の中で /山根麻衣
3、Last Message /Air Kiss (オリジナル)
4、蜃気楼へ・・・IN MIRAGE /山根麻衣
3曲は、かつて(今もですが)私たちのディーバであった
山根麻衣さんの曲、そして1曲は、30年前に作った
バンドのオリジナル曲を選びました。
仲間たち、友人たちが盛り上げてくれて、
最高に気持ちよく酔うように歌い上げることが出来ました

念のため、酸素ボンベも、椅子も準備してもらいましたが、
途中で邪魔になっただけでした(笑)
一番前に陣取っていた親戚たちを見ると、
各々その眼には涙が・・・。
特にプリンセス伯母は、ずっと泣き続けており、
つられるといけないので、ずっと目を逸らしていました。
秋からの私の状態を見続けてくれていた伯母。
つらくてしんどくて、ただただ号泣していた私の
肩を抱いて、一緒に泣いてくれた優しい伯母。
それから数か月で、こうしてライブで歌うことが
できるなんて、誰が想像できたでしょう。
本当に歌のパワーはすごいと改めて感じました。
そして、今回歌うに当たって、自分のテーマがありました。
それは、今も一緒に闘病生活を送っているがん友たちにエールを、
そして私を支え続けてくれたみんなに感謝を込める、
メッセージ的な思い

そして、亡くなった友人たちが、うまくいくようにと
チカラを添えてくれたようにも感じています。

尊敬するギタリストの西田さんと。
高校時代から、めっちゃ上手くて有名な方で、
高校生の時、一度ライブで同じステージに立ったことがあり、
彼がいたから軽音を選んだという経緯があるぐらい
リスペクトしています

この日は、色んな友人、知人が足を運んでくださり、
それだけでも恐縮なのに、たくさんのお花や差し入れを
いただきました。本当に感謝感謝です


ライブの最後、親戚や友人たちと一緒に


忙しいところ、本当にありがとうございました~

それから、19時まで、1部、2部とセッションタイムまで設けて、
熱いライブが行われました

私と同じで、もう長いこと楽器を触っていないというバンドや、
ドラマーがいないため、急遽、メンバーのお嬢さんがドラムを
担当したバンドとか、短時間の練習で苦労したようですが、
でもそれはそれなりに味があり、伊達に年は重ねてないな~と
感動したり感心したり。
ジャズは、セッションバンドが何組かと、2部の始めにフルバン。
昔は、自分のことだけで精一杯で、自分の所属のラテン(ロック)以外は
ほとんどじっくり聴くことはなかったのですが、
もう、いいっ


機会があったら、またゆっくり聴いて酔いしれたいな~

そして、伝説のヴォーカリストのMさんまで登場!!
感動と懐かしさと嬉しさで、何度涙ぐんだことか

あっという間の楽しい、しあわせな一日でありました


ライブ終了後、全員集合で撮影~!お疲れさまでした!
この撮影後、幹事に頼んで、皆さんの前でひと言挨拶を
させていただきました。
いかにこの一日が楽しかったかということ、
このスペシャルな時間に深く感謝していること、
そして、自分はがんで、長くずっと治療を受けており、
昨年秋の同窓会の際は、最悪のコンディションで、
歌える状態ではなかったが、このライブを目標に
頑張って来た結果、歌える状態まで奇跡的に回復し、
音楽のパワーがいかにすごいものかということを話しました。
そして、がんだけでなく、難病を抱えた親御さんや、友人などが
いらっしゃったら、治療を続けながらも頑張って歌った人がいると
いうことを、機会があれば話してあげて欲しいとも僭越ながら
伝えました。
それは、頑張れという意味ではなく(もう十分頑張っている)、
こんな病気になって、私はもう何も出来ないと思っている人が
結構多いのです。現に私もそうでした。
啓発本には、目標を持つことの大切さなどが書いてあり、
なるほどな~とは思っても、いざ何をするかというところで
躊躇したり、どうせ出来ないからと考えないようにしてしまう、
そんな気持ちが分かっているからこそ、今回のことが
少しでも役に立てればと思ったのです。
出過ぎた真似をしてしまったかなとも思ったのですが、
結果、拍手喝采で、感動した!すごくいいスピーチやった!と
みんなに言ってもらえて、安心しました。
この後、近くの居酒屋での打ち上げにも参加。
飲みながら食べながら、色んな話に花が咲きました。
バンドのメンバーも、今日は最高に楽しかった!と
満面の笑顔で、そこで、Air Kissを続けていこうや~と決定!
またこの楽しい時が過ごせるのかと思うと、
嬉しさで飛び上がりそうになりました

一次会で帰る私に、皆さんが個々で話しかけてくれ、
励ましや、うちの親父ががんになった時は・・・と
逆に教えてもらったり、お前、あんなに言い切ったんやから、
死んだらしばくからな~!絶対生きろよ!と喝を入れられたり、
みんなの優しさ、思いやりをたくさんいただきました

本当に、幸せな人です、私は

ライブは、今回一度だけではもったいないし、
かといって、頻繁にすると、絶対だれてくるし、
2年に1回ぐらい、色々趣向を変えてやっていこうと
いうことになり、幹事から、どんなやり方がいいか、
考えといてや、それが宿題やと言われ、
責任を感じながらも、必要としてくれている嬉しさも
感じています。
そして、Air Kissは、3月にライブ後初めて練習を行い、
コピー曲を2曲加えました。
1曲は、昔ライブでも行った山根麻衣さんの名曲で、
敢えて30年後の今、挑戦してみようとコピーのし直しを
各々やってみたのですが、ようこんな難しい曲、
平然とやってたなあ、若さって怖い

改めて感じたり、また洋楽の名曲に歌詞を付けたり、
オリジナルを作ろうと、来月の練習に向けて、
今、メロディと歌詞を考え中です。
そして、8月にライブしよか!と静かに盛り上がっています。
もちろん、私の身体最優先で、もし急にできなくなっても
大丈夫なように考えてくださっていて、至れり尽くせりの
状況に感謝の言葉も見つかりません

私が楽しければ、それでいいねんと仰ってくださる先輩方に、
私も応えようと、気負わず楽しく創作に取り組んでいます

再び良き友にめぐり合えたことの喜びを今、かみしめています

また、ライブが決まって、詳細が分かりましたら、
当ブログでお知らせいたしますね


張り切ってまいりますので、また応援を
ヨロシクお願いいたします!

皆さんからいただいたお花は、大切にお世話させて
いただきました

週に一度お掃除に来てくださるヘルパーさんから、
驚かれるぐらい長く咲いてくれて、気持ちを
癒してくれました。
本当にありがとうございました

2016年1月~3月までのご報告をば! |
2016/03/30 (水) カテゴリー/日記
大変ご無沙汰しております。
今年に入って色々ございまして、ほぼ毎日バタバタの状態
なかなか更新できずでご心配をおかけしました
前記事でお知らせしておりました同窓会ライブは、
皆さまの応援のおかげで大成功に終わりました~
たくさんの方にお越しいただき、本当~に幸せな一日を
過ごすことができ、感謝しております
また、その詳細報告は、じっくり次回にさせていただくことにして、
今回は、怒涛の1月から3月までの報告をさせていただきます。
<出来事>
今年に入ってから母の転居先を探していたのですが、
ライブ前の1月中旬に、最寄駅近くに良い物件が見つかり、
引っ越しすることになりました。
母は今の住まいが気に入っていたのですが、前記事にも書いた通り、
古いマンションで、階段のみの3階、エアコンも付けることが出来ない
物件では、今後もし人工透析をすることになった場合などのことを
考えると、身体に負担がかかることが目に見えており、
私も、何かあっても頻繁に母のところに通うことができない可能性が
高く、渋る母を半ば説き伏せ、決定しました。
母も元気ですし、私も体調がましな状態のこの時に動いておかないと、
母は病気で高齢、保証人夫婦である実の娘も病気であるとなると、
貸してもらえる物件は極めて少なくなり、条件が厳しくなりますし、
新入学生、新社会人が動く春になる前に決めないと、家賃や引っ越し
料金が高くなると、総合的に今がベストと判断したからです。
引っ越し日は、2月20日に決定。
一か月満たない期間で準備することになったのですが、
なかなか母が動いてくれず(4年前の引っ越しで分かっていたことですが
)、
週に半分ほどは、プリンセス伯母と私が一緒になって母のところに通い、
段ボールに詰めたり、整理したりしていたのですが、
なかなか物を捨てることや思い切ることのできない母に四苦八苦。
それでも、転居日が近づくにつれ、機嫌よく荷物を詰めていってくれ、
「おっ、やればできるやん!」と胸を撫で下ろす日も増えてきました。
母のところに通う以外は、引っ越しに関する手続きや新生活に
準備すること、賃貸会社との打ち合わせなど、結構こまごまとしたことが多く、
また、母の外来の付き添いも含めると、月半分は通院というハードな
スケジュールでしたが、何とか雨降る中、予定通り引っ越しすることが
出来ました。
洗濯機や吊り下げ型ランプが劣化していて、当日買い替えなくては
いけないことになったり、思いがけない出費に母子でショックを受けたりの
一日でしたが、プリ伯母とケンヂ、母と私でこたつを囲んで、
お昼ご飯を食べた時は、ようやくゆっくりできる~と喜びがじんわりこみ上げました。
しかし、その後も引っ越し時にありがちな、水回りのハプニングがあったり、
何度説明してもお風呂の使い方が分からないという母のヘルプがあったりと、
ゆっくり出来るどころではなく、やっと何もない土日がやって来た~~と、
喜んだ3月上旬に、施設にお世話になっていた伯母が急逝。
昨年から父も含めて、身内を3人も亡くすという重なる出来事に
ショックと悲しみを感じながらも、どうしてこんなにも休ませてくれないのか!?と
怒りのような悔しさのような感情が、心の底から湧き上がってきて
大泣きに泣き、しばらく涙が止まりませんでした
伯母の葬儀の後には、週3日の通院が待っており、
心身ともに疲れ果ててしまって、気持ちのコントロールが
なかなかできず、そこから浮かび上がるのに一苦労。
今も、少し元気になっては、また落ち込むという日々を過ごしておりますが、
お彼岸には、お寺にて引っ越しの報告を父にも出来ましたし、
5月の一周忌の話も決まりました。
まだこまごまとしたことはありますが、急いでしなければいけない
ことなどは今はなく、やっと一息ついている状況です。
<私のこと>
1月に受診した循環器内科での検査結果ですが、
心臓自体に異常は認められませんでした。
ただ、24時間での心電図では、時折脈が早くなることがあり、
それを抑える薬もあるそうなのですが、処方するにはもっと詳しく検査を
しなければいけないとのこと。
治療の副作用であることも否めず、主治医とも相談し、
とりあえず様子を見ることになりました。
そして画像検査ですが、2月初旬の漢方外来でのPET-CT、
翌週の現在治療を行っている病院でのCTの結果とも、
まだ胸膜にがん性のものが僅かに残存しているものの、
ほぼ胸水は消失し、肺転移ではないとのこと。
肝臓表面の播種も縮小し、腹腔内のリンパ節転移も画像上では
消失しているという診断で、油断は出来ませんが、
とりあえずホッと胸を撫で下ろしました。
ただ、2月の上旬に23まで下がった腫瘍マーカーが、
今月中旬には57まで上がっていたのが、気になるところではあります。
今も、ほぼ毎日動悸がし、体調が良い時でも夕方になるにつれ、
疲れは出てきていますが、食事療法が継続して効いているようで、
毎回ぎりぎりの採血結果ではありますが、
治療は、1月中旬からスキップ(中止)することなく、毎週実施できています。
とてもありがたいことですが、毎週の治療は、やはりつらいものがあり、
爪の痛みや手足の痺れは徐々にひどくなりつつあり、
痛しかゆしの状況です
せっかく治療ができても、身体が参ってしまってはどうにもなりませんので、
こちらも主治医と相談の上、様子を見ながらの治療になって行くと思います。
食事療法は、順調にケトン値が上がっていたのですが、2月に半分に落ちてしまい、
炭水化物の摂取量を増やす予定が、一か月据え置きになってしまいました。
同じようなメニューを摂っていたのに、なぜそんなにも下がったのかが分からず、
管理栄養士の先生に相談して分析してみたところ、毎日摂っていたヨーグルトと
ナッツ類に炭水化物が多く含まれていることが分かりました。
また、外来直前に風邪を引き、服用した漢方薬(食事療法を始める以前に
処方していただいたもの)に乳糖が含まれていたことも判明。
そんなことが重なって、数値が下がる原因になったのかもとのこと。
帰宅後、改めて糖質カロリー表を参照したり、食事の摂り方を変更した結果、
今月の外来では、見事数値も回復
頑張った甲斐がありました!
一度に口にするのは僅かでも、塵も積もればなんとやらで、
改めて1g単位の大きさに驚いたとともに、食物で人間は出来ていると
再確認した次第です。
また、漢方外来では、お腹が張っていて、便の通りが悪いことを指摘。
「溜まってますねえ」「便がですか?」「いや、色んなことが・・・」という
笑うに笑えない会話や、忙しすぎて腹が立っても当たるところがないと
訴えると、「サンドバッグ買ったら?」と飄々と応える先生に
なぜか心も和み、自然と笑みが。わざとなんかなあ、不思議なドクターです。
とりあえず便通を良くしましょうと、腸の炎症を抑える作用のある
大柴胡湯を処方されましたが、気持ちの問題もあるのか、
すっきりとはならず、来月の外来で先生に相談しようと思っています。
<母のこと>
一時落ち着いていた腎機能の数値が、また徐々に悪くなり始めました。
引っ越しの疲れが出たのかもと伺うと、それは関係ないとのこと。
腎性貧血も2か月前より出始め、たんぱくもおりていますので、
来月の外来時、畜尿をし、採血結果によっては、
貧血改善の薬を投与することになる可能性が出て来ました。
高血圧などは薬で落ち着いていますが、一番肝心なのは食事療法。
1月から、ほぼ母にかかりきりだったので、何を口にしているかも
確認していたのですが、まあ、びっくりすることもあり、懸念通りでした。
元々、私と同じで(恐るべしDNA
)、食事を作ることが
苦手な老齢の母に、毎度軽量スプーンで量って塩分とタンパク質の
調整をしろというのは無理な話なのかも知れませんが、
自分の身体を守れるのは自分と再認識してもらい、
出来うる限り、頑張ってもらいたいと思っています。
そして、また今年に入り、左目がよく見えていないことが分かり、
眼科を院内紹介してもらい、受診した結果、両眼とも白内障とのこと。
今、このままではよく見えている右目に負担がかかってしまうため、
手術をすることになりました。
来月、眼科の部長先生の診察で、日取りなどが決まることになると
思います。
今回のブログは、何日にも分けて書き上げたため、
いつものごとく長文で、尚且つ明るい内容でなく申し訳ありません。
生活は落ち着きつつありますが、慌ただしい日々を過ごした
心労は、なかなか回復せず、また、長く続いている治療の副作用や
今後の不安などが、常にあり、一日の中でも浮き沈みのある状況です。
ただ、おかげさまで、2月からボンちゃんも外せましたし、
春になり、色んな花々が心を癒してくれています
また、引っ越して1か月、母もすっかり生活に慣れ、
口にこそしませんが、暮らしやすいと思ってくれている様子ですし、
私も、駅前に出るたびに様子を見に立ち寄れるので、
気持ち的にも身体的にも随分と楽になりました。
やはり、決断してよかったと、自分に言い聞かせております。
今は、自分自身の食事療法(今月から炭水化物を摂る量が変更)で
精一杯ですが、余裕ができたら、母の食事の見直しなども
していきたいと思っています。
皆さまに安心していただけますように、
次こそは、明るい記事で、(まずはライブのこと~
)
お会いいたしましょう~
今年に入って色々ございまして、ほぼ毎日バタバタの状態

なかなか更新できずでご心配をおかけしました

前記事でお知らせしておりました同窓会ライブは、
皆さまの応援のおかげで大成功に終わりました~

たくさんの方にお越しいただき、本当~に幸せな一日を
過ごすことができ、感謝しております

また、その詳細報告は、じっくり次回にさせていただくことにして、
今回は、怒涛の1月から3月までの報告をさせていただきます。
<出来事>
今年に入ってから母の転居先を探していたのですが、
ライブ前の1月中旬に、最寄駅近くに良い物件が見つかり、
引っ越しすることになりました。
母は今の住まいが気に入っていたのですが、前記事にも書いた通り、
古いマンションで、階段のみの3階、エアコンも付けることが出来ない
物件では、今後もし人工透析をすることになった場合などのことを
考えると、身体に負担がかかることが目に見えており、
私も、何かあっても頻繁に母のところに通うことができない可能性が
高く、渋る母を半ば説き伏せ、決定しました。
母も元気ですし、私も体調がましな状態のこの時に動いておかないと、
母は病気で高齢、保証人夫婦である実の娘も病気であるとなると、
貸してもらえる物件は極めて少なくなり、条件が厳しくなりますし、
新入学生、新社会人が動く春になる前に決めないと、家賃や引っ越し
料金が高くなると、総合的に今がベストと判断したからです。
引っ越し日は、2月20日に決定。
一か月満たない期間で準備することになったのですが、
なかなか母が動いてくれず(4年前の引っ越しで分かっていたことですが

週に半分ほどは、プリンセス伯母と私が一緒になって母のところに通い、
段ボールに詰めたり、整理したりしていたのですが、
なかなか物を捨てることや思い切ることのできない母に四苦八苦。
それでも、転居日が近づくにつれ、機嫌よく荷物を詰めていってくれ、
「おっ、やればできるやん!」と胸を撫で下ろす日も増えてきました。
母のところに通う以外は、引っ越しに関する手続きや新生活に
準備すること、賃貸会社との打ち合わせなど、結構こまごまとしたことが多く、
また、母の外来の付き添いも含めると、月半分は通院というハードな
スケジュールでしたが、何とか雨降る中、予定通り引っ越しすることが
出来ました。
洗濯機や吊り下げ型ランプが劣化していて、当日買い替えなくては
いけないことになったり、思いがけない出費に母子でショックを受けたりの
一日でしたが、プリ伯母とケンヂ、母と私でこたつを囲んで、
お昼ご飯を食べた時は、ようやくゆっくりできる~と喜びがじんわりこみ上げました。
しかし、その後も引っ越し時にありがちな、水回りのハプニングがあったり、
何度説明してもお風呂の使い方が分からないという母のヘルプがあったりと、
ゆっくり出来るどころではなく、やっと何もない土日がやって来た~~と、
喜んだ3月上旬に、施設にお世話になっていた伯母が急逝。
昨年から父も含めて、身内を3人も亡くすという重なる出来事に
ショックと悲しみを感じながらも、どうしてこんなにも休ませてくれないのか!?と
怒りのような悔しさのような感情が、心の底から湧き上がってきて
大泣きに泣き、しばらく涙が止まりませんでした

伯母の葬儀の後には、週3日の通院が待っており、
心身ともに疲れ果ててしまって、気持ちのコントロールが
なかなかできず、そこから浮かび上がるのに一苦労。
今も、少し元気になっては、また落ち込むという日々を過ごしておりますが、
お彼岸には、お寺にて引っ越しの報告を父にも出来ましたし、
5月の一周忌の話も決まりました。
まだこまごまとしたことはありますが、急いでしなければいけない
ことなどは今はなく、やっと一息ついている状況です。
<私のこと>
1月に受診した循環器内科での検査結果ですが、
心臓自体に異常は認められませんでした。
ただ、24時間での心電図では、時折脈が早くなることがあり、
それを抑える薬もあるそうなのですが、処方するにはもっと詳しく検査を
しなければいけないとのこと。
治療の副作用であることも否めず、主治医とも相談し、
とりあえず様子を見ることになりました。
そして画像検査ですが、2月初旬の漢方外来でのPET-CT、
翌週の現在治療を行っている病院でのCTの結果とも、
まだ胸膜にがん性のものが僅かに残存しているものの、
ほぼ胸水は消失し、肺転移ではないとのこと。
肝臓表面の播種も縮小し、腹腔内のリンパ節転移も画像上では
消失しているという診断で、油断は出来ませんが、
とりあえずホッと胸を撫で下ろしました。
ただ、2月の上旬に23まで下がった腫瘍マーカーが、
今月中旬には57まで上がっていたのが、気になるところではあります。
今も、ほぼ毎日動悸がし、体調が良い時でも夕方になるにつれ、
疲れは出てきていますが、食事療法が継続して効いているようで、
毎回ぎりぎりの採血結果ではありますが、
治療は、1月中旬からスキップ(中止)することなく、毎週実施できています。
とてもありがたいことですが、毎週の治療は、やはりつらいものがあり、
爪の痛みや手足の痺れは徐々にひどくなりつつあり、
痛しかゆしの状況です

せっかく治療ができても、身体が参ってしまってはどうにもなりませんので、
こちらも主治医と相談の上、様子を見ながらの治療になって行くと思います。
食事療法は、順調にケトン値が上がっていたのですが、2月に半分に落ちてしまい、
炭水化物の摂取量を増やす予定が、一か月据え置きになってしまいました。
同じようなメニューを摂っていたのに、なぜそんなにも下がったのかが分からず、
管理栄養士の先生に相談して分析してみたところ、毎日摂っていたヨーグルトと
ナッツ類に炭水化物が多く含まれていることが分かりました。
また、外来直前に風邪を引き、服用した漢方薬(食事療法を始める以前に
処方していただいたもの)に乳糖が含まれていたことも判明。
そんなことが重なって、数値が下がる原因になったのかもとのこと。
帰宅後、改めて糖質カロリー表を参照したり、食事の摂り方を変更した結果、
今月の外来では、見事数値も回復

一度に口にするのは僅かでも、塵も積もればなんとやらで、
改めて1g単位の大きさに驚いたとともに、食物で人間は出来ていると
再確認した次第です。
また、漢方外来では、お腹が張っていて、便の通りが悪いことを指摘。
「溜まってますねえ」「便がですか?」「いや、色んなことが・・・」という
笑うに笑えない会話や、忙しすぎて腹が立っても当たるところがないと
訴えると、「サンドバッグ買ったら?」と飄々と応える先生に
なぜか心も和み、自然と笑みが。わざとなんかなあ、不思議なドクターです。
とりあえず便通を良くしましょうと、腸の炎症を抑える作用のある
大柴胡湯を処方されましたが、気持ちの問題もあるのか、
すっきりとはならず、来月の外来で先生に相談しようと思っています。
<母のこと>
一時落ち着いていた腎機能の数値が、また徐々に悪くなり始めました。
引っ越しの疲れが出たのかもと伺うと、それは関係ないとのこと。
腎性貧血も2か月前より出始め、たんぱくもおりていますので、
来月の外来時、畜尿をし、採血結果によっては、
貧血改善の薬を投与することになる可能性が出て来ました。
高血圧などは薬で落ち着いていますが、一番肝心なのは食事療法。
1月から、ほぼ母にかかりきりだったので、何を口にしているかも
確認していたのですが、まあ、びっくりすることもあり、懸念通りでした。
元々、私と同じで(恐るべしDNA

苦手な老齢の母に、毎度軽量スプーンで量って塩分とタンパク質の
調整をしろというのは無理な話なのかも知れませんが、
自分の身体を守れるのは自分と再認識してもらい、
出来うる限り、頑張ってもらいたいと思っています。
そして、また今年に入り、左目がよく見えていないことが分かり、
眼科を院内紹介してもらい、受診した結果、両眼とも白内障とのこと。
今、このままではよく見えている右目に負担がかかってしまうため、
手術をすることになりました。
来月、眼科の部長先生の診察で、日取りなどが決まることになると
思います。
今回のブログは、何日にも分けて書き上げたため、
いつものごとく長文で、尚且つ明るい内容でなく申し訳ありません。
生活は落ち着きつつありますが、慌ただしい日々を過ごした
心労は、なかなか回復せず、また、長く続いている治療の副作用や
今後の不安などが、常にあり、一日の中でも浮き沈みのある状況です。
ただ、おかげさまで、2月からボンちゃんも外せましたし、
春になり、色んな花々が心を癒してくれています

また、引っ越して1か月、母もすっかり生活に慣れ、
口にこそしませんが、暮らしやすいと思ってくれている様子ですし、
私も、駅前に出るたびに様子を見に立ち寄れるので、
気持ち的にも身体的にも随分と楽になりました。
やはり、決断してよかったと、自分に言い聞かせております。
今は、自分自身の食事療法(今月から炭水化物を摂る量が変更)で
精一杯ですが、余裕ができたら、母の食事の見直しなども
していきたいと思っています。
皆さまに安心していただけますように、
次こそは、明るい記事で、(まずはライブのこと~

お会いいたしましょう~

新年初めのご挨拶。私・・・歌わせていただきます♪ |
2016/01/18 (月) カテゴリー/お知らせ
皆さま、昨年は励ましと暖かいエールをいただき、
ありがとうございました
おかげさまで、体調も良くなりつつあり、元気に過ごしております。
本年も何とぞヨロシクお願い申し上げます。
年始に循環器内科を受診しました。
昨年から、色んなことが起こり過ぎて、ざっと説明すると、
若干早口のドクターも、半ば感心なさったような顔をされて
いましたが、とにかく心臓に異常がないかどうかを
調べていただくことになりました。
採血、心電図、レントゲンなどを済ませ、今日18日には、
心エコーとホルター心電図(24時間心電図)を調べ、
来週26日(火)に、外来で結果を診ていただくことになっております。
また、報告させていただきますね。
さて、本日は、昨年末のブログでもお約束したとおり、
夢のような出来事のお知らせをさせていただきます

以前にも、当ブログで書いたと思うのですが、
高校生の頃から、大学、社会人と10年余り、バンド活動を
行っておりまして、ヴォーカルを担当しておりました
最後のバンド活動が終わってからは、演劇活動に勤しんだり、
仕事も忙しく、バンドどころか、音楽からは遠く離れた生活を送り、
たま~にカラオケに行っても、遥か昔の曲しか歌えないという有様。
大学時代の軽音楽部の先輩はもちろん、同期にも年賀状の挨拶しか
していない年月を過ごして来ました。
病気になった4年ほど前、同じバンドで仲良くしていたMさんと、
ひょんなことから、また連絡を取り合うことになり、ランチしたりしていましたが、
そのたび、再発して治療が再開したりが続き、彼女も家のことと仕事で
忙しく、メールだけを交換し合う状態が続いておりました。
そんなある日、一昨年の秋頃だったと思うのですが、
彼女から借りた、知る人ぞ知る、当時の歌姫、
山根麻衣さんのCDを、口ずさみながらダウンロードしていた時、
なぜか急に歌いたくなり、それから2、3時間、フルで歌いまくり、
「もう一度、バンドしたいな~!」と、突然火が点いたのです
しかし、実際にできるかというと、まだ治療は受けていたし、
こんな状態では、難し過ぎて、やっぱりできないよね~と
せっかく点いた炎は、すぐにかき消えたのでありました。
そして、すっかり鎮火していた昨年の年始、
「軽音の皆さんに、また会いたいです~!」とMさんに話したのが
きっかけで、Mさんのダンナさんである、Jさん経由(彼はMさんの
同期で、その当時の副部長)で、とんとん拍子に話が決まり、
2月に、先輩方20名ほどが集まっていただき、久々の飲み会が催されました。
カラオケにも行き、その場で、今度はもっと大規模な同窓会を
しよう!ということになり、私が2回生の時の、1~4回生全員、
ラテン(ロック)、ジャズ、カントリーの枠を超えた、大同窓会の
構想が練られました。
そして、昨年の9月26日(土)に、なんと、本当に実現されたのです
残念ながら、その当時の4回生は、取りまとめの幹事をされる方が
おられなかったので無理だったのですが、
1回から3回生、約60名が、なんばは味園に集結!
私は、その時、最高に胸水が溜まっていて、呼吸が苦しく、
長くは歩けない状態でしたが、事情を知っている各幹事や先輩方が、
終始気遣ってくださり、涙が出るほど懐かしく、安心して楽しいひと時を
過ごすことができました
この瞬間だけでも、こんなに幸せでもいいのか??ぐらいな気持ちだったのに、
な、なんと、今度は年明けに同窓会ライブをしようという壮大な話に展開

この日、その当時結成していた、もう一度聴きたいバンドをアンケートし、
嬉しいことに選ばれたのです
しかし、この3日後に、胸水が溜まり過ぎて、緊急入院することになり、
身体も消耗し、先がどういう状態になるか分からない状態で、
本当にステージに立てるのか、いや、そもそも呼吸困難な状況で、
声が出せるのか、頭の中を色んな状況や思いが逡巡し、
迷惑をかけては申し訳ないと、一時は辞退しようとも考えましたが、
先輩方から、万が一の事態など、病気じゃなくても、誰にでも
起こり得ることだし、そんなこと考えてたら、何にもできないよ。
迷惑だなんて考えないで歌って欲しいという声をいただき、
思い切って、ステージに立つことに決めました!
そんなこんなで、前置きが、かな~~り長くなってしまいましたが、
私、ほぼ25年ぶりに歌わせていただきます

もっと早く、お知らせしたかったのですが、引き受けてからも、
身体の状況を考えたりしながら、よし!歌える!とならない限り、
報告するのは控えようと思っておりましたので、
遅くなってしまいました。
では、案内をば!!
■日時 1月 23日(土) 13:00~19:00
※開場は12:00です。
■場所 マザーポップコーン
大阪市西区西本町1-10-22 AXISビル地下1階
■料金 無料です。
※ドリンク、フードの注文分は、各自現金にて精算となります。
■タイムスケジュール
1部が、13:00~16:40で、13:00から20分刻みで、各バンドが出演します。
2部が、17:00から、JAZZ FULLBAND。
それ以降は、希望者にて結成されたバンドが出演します。
私は、栄えあるオープニングアクトで、13:00~13:20に出演します。
バンド名は、「Air Kiss」
と申します。
4年間、色んなバンドを結成しましたが、Air Kissは、
私が、1回生の秋頃から、2回生の秋まで、1年間ほど結成していたバンドで、
先輩に引き抜いていただいた、思い出のあるバンドなんです。
曲は、レベッカからオリジナルまで、色々演奏していましたが、
今回は、先ほども出てきました、私たちのディーバである、山根麻衣さんの
曲を3曲と、オリジナルを1曲の、計4曲を、20分間にブッこみたいと
思っています
今回の同窓会ライブは、今でも現役でライブ活動をしているメンバーも
いれば、ギター持つの30年ぶりで、指動かん
状態のメンバーもおり、
ジャズのコンボやフルバンもあり、なかなか、楽しい集まりになると思います。
もし、お時間よろしければ、ご覧いただければと思っております。
思えば、一昨年、「歌いたいな~」から始まった、このイベント。
私が、昨年、「皆さんに会いたい」と言わなかったら、
昨年の大同窓会も、ライブもなかったよ、再び縁を呼び寄せて結ばせたねと
Mさんにも、しみじみ言われ、本当に感無量です
確かに、きっかけは私かもしれませんが、それぞれの大勢のパワーが
集まるべくして集まって成したことだと、嬉しさを噛みしめています
練習は、たったの2回。
ただのお耳汚しになるかも知れませんが、
皆さまの健康や、共に闘っているがん友たちの
快復を祈りながら、精一杯歌いたいと思います
この炎は、鎮火するどころか、ただいま燃え盛っております
力の限り、頑張ってまいりますね~~~
ありがとうございました

おかげさまで、体調も良くなりつつあり、元気に過ごしております。
本年も何とぞヨロシクお願い申し上げます。
年始に循環器内科を受診しました。
昨年から、色んなことが起こり過ぎて、ざっと説明すると、
若干早口のドクターも、半ば感心なさったような顔をされて
いましたが、とにかく心臓に異常がないかどうかを
調べていただくことになりました。
採血、心電図、レントゲンなどを済ませ、今日18日には、
心エコーとホルター心電図(24時間心電図)を調べ、
来週26日(火)に、外来で結果を診ていただくことになっております。
また、報告させていただきますね。
さて、本日は、昨年末のブログでもお約束したとおり、
夢のような出来事のお知らせをさせていただきます


以前にも、当ブログで書いたと思うのですが、
高校生の頃から、大学、社会人と10年余り、バンド活動を
行っておりまして、ヴォーカルを担当しておりました

最後のバンド活動が終わってからは、演劇活動に勤しんだり、
仕事も忙しく、バンドどころか、音楽からは遠く離れた生活を送り、
たま~にカラオケに行っても、遥か昔の曲しか歌えないという有様。
大学時代の軽音楽部の先輩はもちろん、同期にも年賀状の挨拶しか
していない年月を過ごして来ました。
病気になった4年ほど前、同じバンドで仲良くしていたMさんと、
ひょんなことから、また連絡を取り合うことになり、ランチしたりしていましたが、
そのたび、再発して治療が再開したりが続き、彼女も家のことと仕事で
忙しく、メールだけを交換し合う状態が続いておりました。
そんなある日、一昨年の秋頃だったと思うのですが、
彼女から借りた、知る人ぞ知る、当時の歌姫、
山根麻衣さんのCDを、口ずさみながらダウンロードしていた時、
なぜか急に歌いたくなり、それから2、3時間、フルで歌いまくり、
「もう一度、バンドしたいな~!」と、突然火が点いたのです

しかし、実際にできるかというと、まだ治療は受けていたし、
こんな状態では、難し過ぎて、やっぱりできないよね~と
せっかく点いた炎は、すぐにかき消えたのでありました。
そして、すっかり鎮火していた昨年の年始、
「軽音の皆さんに、また会いたいです~!」とMさんに話したのが
きっかけで、Mさんのダンナさんである、Jさん経由(彼はMさんの
同期で、その当時の副部長)で、とんとん拍子に話が決まり、
2月に、先輩方20名ほどが集まっていただき、久々の飲み会が催されました。
カラオケにも行き、その場で、今度はもっと大規模な同窓会を
しよう!ということになり、私が2回生の時の、1~4回生全員、
ラテン(ロック)、ジャズ、カントリーの枠を超えた、大同窓会の
構想が練られました。
そして、昨年の9月26日(土)に、なんと、本当に実現されたのです

残念ながら、その当時の4回生は、取りまとめの幹事をされる方が
おられなかったので無理だったのですが、
1回から3回生、約60名が、なんばは味園に集結!
私は、その時、最高に胸水が溜まっていて、呼吸が苦しく、
長くは歩けない状態でしたが、事情を知っている各幹事や先輩方が、
終始気遣ってくださり、涙が出るほど懐かしく、安心して楽しいひと時を
過ごすことができました

この瞬間だけでも、こんなに幸せでもいいのか??ぐらいな気持ちだったのに、
な、なんと、今度は年明けに同窓会ライブをしようという壮大な話に展開


この日、その当時結成していた、もう一度聴きたいバンドをアンケートし、
嬉しいことに選ばれたのです

しかし、この3日後に、胸水が溜まり過ぎて、緊急入院することになり、
身体も消耗し、先がどういう状態になるか分からない状態で、
本当にステージに立てるのか、いや、そもそも呼吸困難な状況で、
声が出せるのか、頭の中を色んな状況や思いが逡巡し、
迷惑をかけては申し訳ないと、一時は辞退しようとも考えましたが、
先輩方から、万が一の事態など、病気じゃなくても、誰にでも
起こり得ることだし、そんなこと考えてたら、何にもできないよ。
迷惑だなんて考えないで歌って欲しいという声をいただき、
思い切って、ステージに立つことに決めました!
そんなこんなで、前置きが、かな~~り長くなってしまいましたが、
私、ほぼ25年ぶりに歌わせていただきます


もっと早く、お知らせしたかったのですが、引き受けてからも、
身体の状況を考えたりしながら、よし!歌える!とならない限り、
報告するのは控えようと思っておりましたので、
遅くなってしまいました。
では、案内をば!!
■日時 1月 23日(土) 13:00~19:00
※開場は12:00です。
■場所 マザーポップコーン
大阪市西区西本町1-10-22 AXISビル地下1階
■料金 無料です。
※ドリンク、フードの注文分は、各自現金にて精算となります。
■タイムスケジュール
1部が、13:00~16:40で、13:00から20分刻みで、各バンドが出演します。
2部が、17:00から、JAZZ FULLBAND。
それ以降は、希望者にて結成されたバンドが出演します。
私は、栄えあるオープニングアクトで、13:00~13:20に出演します。
バンド名は、「Air Kiss」

4年間、色んなバンドを結成しましたが、Air Kissは、
私が、1回生の秋頃から、2回生の秋まで、1年間ほど結成していたバンドで、
先輩に引き抜いていただいた、思い出のあるバンドなんです。
曲は、レベッカからオリジナルまで、色々演奏していましたが、
今回は、先ほども出てきました、私たちのディーバである、山根麻衣さんの
曲を3曲と、オリジナルを1曲の、計4曲を、20分間にブッこみたいと
思っています

今回の同窓会ライブは、今でも現役でライブ活動をしているメンバーも
いれば、ギター持つの30年ぶりで、指動かん

ジャズのコンボやフルバンもあり、なかなか、楽しい集まりになると思います。
もし、お時間よろしければ、ご覧いただければと思っております。
思えば、一昨年、「歌いたいな~」から始まった、このイベント。
私が、昨年、「皆さんに会いたい」と言わなかったら、
昨年の大同窓会も、ライブもなかったよ、再び縁を呼び寄せて結ばせたねと
Mさんにも、しみじみ言われ、本当に感無量です

確かに、きっかけは私かもしれませんが、それぞれの大勢のパワーが
集まるべくして集まって成したことだと、嬉しさを噛みしめています

練習は、たったの2回。
ただのお耳汚しになるかも知れませんが、
皆さまの健康や、共に闘っているがん友たちの
快復を祈りながら、精一杯歌いたいと思います

この炎は、鎮火するどころか、ただいま燃え盛っております

力の限り、頑張ってまいりますね~~~

近況報告と、2015年を振り返って。。。 |
2015/12/31 (木) カテゴリー/闘病のこと。
この冬は、暖冬と予想されていただけあって、
冷える日はあっても、お昼間は暖かかったり、
痩せた身体に寒さは堪えるだろうと、早くに購入した
ダウンジャケットなどが全然登場することのないまま、
新年を迎えることとなりました。
一番気がかりだった母の状況ですが、退院後の初めての外来で、
数値が下がり、医師からもこのままだと、年明けには
人工透析になりますよと言われ、ショックを受けていたのですが、
先週二度目の外来では、数値も落ち着き、薬の調整と食事療法が
何とか功を奏している様子で、ホッと胸を撫で下ろしました。
母なりに食事療法を頑張ってくれていたようです。
まだまだ油断はできませんが、見守って行こうと思っています。
私はと言うと、母が退院した頃から、身体が疲弊したのか、
原因不明の動悸と倦怠感が続き、一時は外出もできず、
通院以外は、自宅にひたすらこもる生活を続けていましたが、
今は、少しずつですが、ましな状態になっています。
体調は、すぐれないのですが、先々週の胸部レントゲンの結果では、
おかげさまで、胸水もほとんどなくなっております
自宅では、すでに酸素吸入を止めてるのですが、
動悸がするため、外出時の酸素ボンベは止めることが出来ず、
相変わらず、ボンちゃん連れて、外出を続けています。
重くて大変ですが、杖代わりになって楽な時もあり、
助けてもらっています。
もう一か月も動悸がしているため、主治医とも相談し、念のため、
年明けすぐに循環器内科を受診することにしました。
O大病院、漢方外来のH先生にも、脈診、腹診などで診ていただき、
軽い気鬱(気滞)と診断されました。
人は食べたものをエネルギー(気)に変えて、身体中に巡らせて
いるようなのですが、ストレスや不安などがあると、その気が
滞ったり、身体のどこかに溜まったりし、それが身体の不調となって
現れるようなのです。
追加で漢方を処方していただきましたので、その効果も出てくれば、
心身ともにかなり楽になるのではと、期待しています!
そして、つらい食事療法にも、ようやく慣れ、採血数値にも
良い結果が出てきております!!
今月16日のO大病院、そして24日の外来治療前の採血でも、
徐々に嫌~な感じで上がってきていた腫瘍マーカーが、
ともに、41、30と、半分以上下がり、O大病院では、えっ!?と
データを二度見しました(笑)
画像を見ないと分かりませんが、何らかの形で、
肺も含めて、がんが縮小しているのは間違いなく、
両病院の先生方も、良い方向に進んでいますね~と
喜んでくださいました
とてもつらかったですが、頑張った甲斐がありました
週に一度の外来化学療法も、数値が下がり、スキップ(中止)
することもありますが、大きな副作用もなく、順調に進んでおります。
そして、かなり落ちた体重も、栄養管理の元、摂るエネルギーを
増やしたところ、少しずつですが増えてきており、
改めて、食の大切さ、食で身体は成り立っているということが、
自分の身をもって感じることができ、貴重な体験をさせて
いただいていることを有り難く思っています。
今年は、本当に目まぐるしく、色々あった1年でした。
父が闘病終えて亡くなったことは、どこか今でも信じられず、
それは、きっとこれで良かったのだろうか、もっと
できたことはなかったのかという、自責の念に繋がって
いるからなのかは分かりませんが、
母までが、体調を崩すという、予期せぬことが起こり、
元気だと、勝手に思い込んでしまっていたことを
猛省しました。
もちろん、私自身も、もう1年治療をずっと続けているわけで、
いつも元気で過ごしていたのが、秋口に胸水が溜まってきて
からの身体の消耗たるや、すさまじく、もうだめかもと、
何度心折れそうになったか分かりません。
でも、そのたびに、必ず助けてくれる出来事や、
手を差し伸べてくれる人のあることが、本当に不思議で、
有り難く、何とかここまでやって来れました。
色々な出会いの中、おかげさまで生かされている我が身が、
今、本当に心から愛おしく、生かしてくれている全てのこと、
全ての方々に、心より深く感謝申し上げます。
元気だった頃は、絶対治してみせる!と、がむしゃらに
気合いを入れて頑張っていましたが、
来年は、少し立ち止まっては、足元をしっかり見ながら、
焦らずゆっくり頑張っていきたいと思います。
一昨日、久しぶりに会った、25年来の後輩が、
私の数値が良かったことを聞いた途端、
顔をくしゃくしゃにして、「口にしたら絶対にあかんと思って
言わなかったけど、こあらさんを絶対に死なさんといてって、
いつもお願いしてたんです~!」と喜んでくれました。
入院のたび、のぞきに来てくれては、楽しく話してくれ、
彼女自身も2年の間に、ご両親をがんで亡くされたからこそ、
私の様子が手に取って分かったのでしょう。
彼女に喜んでもらえて、もう大丈夫!と自信もつきました。
本当に、嬉しかったです
入院時、いつも駆けつけてくれる友人や、
また、サプライズで来てくれたり、自分もお父さんの看病で
忙しい中、わざわざ東京から来てくれたりする友人。
メールや手紙で、さりげない安否確認や、応援してくれる友人や、
落ち込んでる時、互いに励まし合うがん友、
治療に携わってくださる先生方、そしてスタッフの皆さま、
そして、長い間更新もしていないブログを、粘り強く見ていただき、
頑張ってくださいと声をかけてくださる皆さま。
本当にいつもパワーをいただいております。感謝しております。
そして、闘病生活5年の間、支え続けてくれた家族、
親せきにも感謝を。
中でも、プリンセス伯母とケンヂには、本当に世話になりました。
そしてまた、父と一緒に長く仕事をしてくださっていたIさんにも
Special Thanksを。
彼女なしには、私の平穏な生活は、こんなに早く戻ることは
なかったでしょう。
私たち母子の生活を守るため、色々尽力くださいました。
その他、沢山の出会いの中、書ききれないほど感謝することばかり。
あんなこともあった、こんなこともあったと、
今、頭の中をよぎっています。
本当に本当に幸せな人です、私は
前回のブログで、つらかった時期に、嬉しいこともあったと
書きましたが、その続きが、来年1月に実現することに
なりました!
また、お知らせいたします!必ず書きます!
さあ、今年も、もうあと数十分となりました。
来年も、良い年になりますように。
そして皆さまにとっても、素晴らしい1年になりますよう
お祈り申し上げます。
有難うございました
冷える日はあっても、お昼間は暖かかったり、
痩せた身体に寒さは堪えるだろうと、早くに購入した
ダウンジャケットなどが全然登場することのないまま、
新年を迎えることとなりました。
一番気がかりだった母の状況ですが、退院後の初めての外来で、
数値が下がり、医師からもこのままだと、年明けには
人工透析になりますよと言われ、ショックを受けていたのですが、
先週二度目の外来では、数値も落ち着き、薬の調整と食事療法が
何とか功を奏している様子で、ホッと胸を撫で下ろしました。
母なりに食事療法を頑張ってくれていたようです。
まだまだ油断はできませんが、見守って行こうと思っています。
私はと言うと、母が退院した頃から、身体が疲弊したのか、
原因不明の動悸と倦怠感が続き、一時は外出もできず、
通院以外は、自宅にひたすらこもる生活を続けていましたが、
今は、少しずつですが、ましな状態になっています。
体調は、すぐれないのですが、先々週の胸部レントゲンの結果では、
おかげさまで、胸水もほとんどなくなっております

自宅では、すでに酸素吸入を止めてるのですが、
動悸がするため、外出時の酸素ボンベは止めることが出来ず、
相変わらず、ボンちゃん連れて、外出を続けています。
重くて大変ですが、杖代わりになって楽な時もあり、
助けてもらっています。
もう一か月も動悸がしているため、主治医とも相談し、念のため、
年明けすぐに循環器内科を受診することにしました。
O大病院、漢方外来のH先生にも、脈診、腹診などで診ていただき、
軽い気鬱(気滞)と診断されました。
人は食べたものをエネルギー(気)に変えて、身体中に巡らせて
いるようなのですが、ストレスや不安などがあると、その気が
滞ったり、身体のどこかに溜まったりし、それが身体の不調となって
現れるようなのです。
追加で漢方を処方していただきましたので、その効果も出てくれば、
心身ともにかなり楽になるのではと、期待しています!
そして、つらい食事療法にも、ようやく慣れ、採血数値にも
良い結果が出てきております!!
今月16日のO大病院、そして24日の外来治療前の採血でも、
徐々に嫌~な感じで上がってきていた腫瘍マーカーが、
ともに、41、30と、半分以上下がり、O大病院では、えっ!?と
データを二度見しました(笑)
画像を見ないと分かりませんが、何らかの形で、
肺も含めて、がんが縮小しているのは間違いなく、
両病院の先生方も、良い方向に進んでいますね~と
喜んでくださいました

とてもつらかったですが、頑張った甲斐がありました

週に一度の外来化学療法も、数値が下がり、スキップ(中止)
することもありますが、大きな副作用もなく、順調に進んでおります。
そして、かなり落ちた体重も、栄養管理の元、摂るエネルギーを
増やしたところ、少しずつですが増えてきており、
改めて、食の大切さ、食で身体は成り立っているということが、
自分の身をもって感じることができ、貴重な体験をさせて
いただいていることを有り難く思っています。
今年は、本当に目まぐるしく、色々あった1年でした。
父が闘病終えて亡くなったことは、どこか今でも信じられず、
それは、きっとこれで良かったのだろうか、もっと
できたことはなかったのかという、自責の念に繋がって
いるからなのかは分かりませんが、
母までが、体調を崩すという、予期せぬことが起こり、
元気だと、勝手に思い込んでしまっていたことを
猛省しました。
もちろん、私自身も、もう1年治療をずっと続けているわけで、
いつも元気で過ごしていたのが、秋口に胸水が溜まってきて
からの身体の消耗たるや、すさまじく、もうだめかもと、
何度心折れそうになったか分かりません。
でも、そのたびに、必ず助けてくれる出来事や、
手を差し伸べてくれる人のあることが、本当に不思議で、
有り難く、何とかここまでやって来れました。
色々な出会いの中、おかげさまで生かされている我が身が、
今、本当に心から愛おしく、生かしてくれている全てのこと、
全ての方々に、心より深く感謝申し上げます。
元気だった頃は、絶対治してみせる!と、がむしゃらに
気合いを入れて頑張っていましたが、
来年は、少し立ち止まっては、足元をしっかり見ながら、
焦らずゆっくり頑張っていきたいと思います。
一昨日、久しぶりに会った、25年来の後輩が、
私の数値が良かったことを聞いた途端、
顔をくしゃくしゃにして、「口にしたら絶対にあかんと思って
言わなかったけど、こあらさんを絶対に死なさんといてって、
いつもお願いしてたんです~!」と喜んでくれました。
入院のたび、のぞきに来てくれては、楽しく話してくれ、
彼女自身も2年の間に、ご両親をがんで亡くされたからこそ、
私の様子が手に取って分かったのでしょう。
彼女に喜んでもらえて、もう大丈夫!と自信もつきました。
本当に、嬉しかったです

入院時、いつも駆けつけてくれる友人や、
また、サプライズで来てくれたり、自分もお父さんの看病で
忙しい中、わざわざ東京から来てくれたりする友人。
メールや手紙で、さりげない安否確認や、応援してくれる友人や、
落ち込んでる時、互いに励まし合うがん友、
治療に携わってくださる先生方、そしてスタッフの皆さま、
そして、長い間更新もしていないブログを、粘り強く見ていただき、
頑張ってくださいと声をかけてくださる皆さま。
本当にいつもパワーをいただいております。感謝しております。
そして、闘病生活5年の間、支え続けてくれた家族、
親せきにも感謝を。
中でも、プリンセス伯母とケンヂには、本当に世話になりました。
そしてまた、父と一緒に長く仕事をしてくださっていたIさんにも
Special Thanksを。
彼女なしには、私の平穏な生活は、こんなに早く戻ることは
なかったでしょう。
私たち母子の生活を守るため、色々尽力くださいました。
その他、沢山の出会いの中、書ききれないほど感謝することばかり。
あんなこともあった、こんなこともあったと、
今、頭の中をよぎっています。
本当に本当に幸せな人です、私は

前回のブログで、つらかった時期に、嬉しいこともあったと
書きましたが、その続きが、来年1月に実現することに
なりました!
また、お知らせいたします!必ず書きます!
さあ、今年も、もうあと数十分となりました。
来年も、良い年になりますように。
そして皆さまにとっても、素晴らしい1年になりますよう
お祈り申し上げます。
有難うございました
